絵のことを考えて生活していると、イマジネーションが膨らんで常に自己のビジョンに対する客観的な視点でモノを捉えるため、究極の訓練として空中に指でイメージング通りの描画を施し、それを納得のいくまで続けると、紙や鉛筆を用いなくても、想像を具現化するのに役立ちます。これらの行為は、キャンパスの上だけが絵を学ぶ場所ではないことの証明として、ある種の体験や個人的思想の追及の中に絵に対する改革意識を呼び起こすことが可能になりますので、これらの高度な訓練をより強化していく必要があります。前衛芸術が支配する美術界というのは、全ての思想が浮遊するかのごとくつかみ所がありません。

単純にここをこうすればいいとか、欠点の克服にはどの様な要素が必要なのかと言ったシニカルな考えを修正して、ただ描くという行為だけがシンプルに存在していれば、雑音を撥ね退けて前に進む事ができるので、フスマートのような奇想天外な技術に出会えるかもしれません。そうなるともう自己のコントロールできなくなり、とことん自分の道を進む以外に術はなくなりますが、それは一種の孤独との戦いでもあるので、過去を振り向いて自己の芸術意識を再構築するなどという方法論はいらなくなります。

では本当に脳内のイメージングだけで絵はうまくなるのでしょうか。ただそこには人生を歩む上で重要な人との出会いや人間としての成長も含めて統括的な経験の積み重ねが必要になるので、絵に対する技術や想像力が頭打ちになったら、旅に出て考える時間を作るとか、3ヶ月ぐらい絵から離れると言った行動はまさに脳内革命となって、インスピレーションの取得に積極的な体制作りを進める事ができます。

絵を人から褒められずに落ち込み続けることもよくありますが、可能性が平等に与えられているとすると、どうすればそれを掴み高い位置まで持っていく事ができるのか考え、まずは自分のビジョンやイマジネーションを客観視することから始めましょう。絵は想像力と技術、遊び心が必要になりますので、自分のファッションを新たにコーディネートしたり、家電製品などもデザイン重視で考えると言う生活空間の建て直しを図ることも物事を構築するための視覚が広がり、総合的に無の状態から最終的な造型構築に至るまで、幅広く対処できるようになります。

生活の中でも絵を描く上で技術向上のために役立つのは、カレンダーの写真やイラスト、新聞のレイアウトなど、デザイン的な要素を含んだ媒体を通して、それらの技術や遊び心を楽しみながら学び、吸収する事ができるので、まずはこれはいいと思うデザインを目にしたら、自分でも絵を描きながらバランス感覚や配色に注意して進める事が重要です。
例えば年賀状のデザインのサンプルはネット上に多くの人がアップしていますし、LINEのスタンプもイラストではありますが、様々な個性の集合体を通して、斬新な思考能力、ちょっとした工夫で変貌を遂げる基礎の発展も含めて学ぶべき事は多くありますので、まずは単調な描写でもいいので、どのような視点から発想すれば、作品が引き立つのか吟味する必要はあります。

絵は基本的にイラストレーションであり芸術でもあり、見方によっては総合的な娯楽という言い方もできます。浮世絵は広告とかブロマイドとして庶民の話題の中心になるべき媒体でしたが、今は芸術として世界中の美術館に展示されていると言う当時の人達から見ると不可思議な現象と言えます。しかしそのように形を変えるのが芸術や娯楽の根本となる喜びに付随しているので、今は人に認められなくても時流が変わったときに、受け入れられるという流れは必ず存在します。